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『憲法で読むアメリカ史』 上下 阿川尚之著 PHP新書

アメリカ合衆国の建国の歴史とはまさにそれぞれが自治や独自性を主張する各州と
各州を国家として統合しようとする連邦府との闘争の歴史であり、州政府と連邦府が
激しくぶつかり合い、合衆国連邦最高裁で争って、結論を出すという積み重ねの歴史であることを
理解した。
その過程で連邦裁判所は時代の趨勢で、保守に傾いたり、進歩派に傾いたり、右に行ったり、左に行ったり、
色々変遷してきたことがよく分かった。

その過程で州の権限と連邦府の権限の線引きの問題とか、連邦から離脱しようとする州が出てきたり、
色々あったことがよく分かる。

また黒人の公民権問題で南部諸州が非常に反発したり、また最近では同性愛とか妊娠中絶とか様々な問題で、
保守と進歩派が対立しており、それがそのまま共和党と民主党の対立として表れている。

最近では最高裁の判事が共和党よりの判事か、民主党よりの判事かで激しく共和党と民主党がやり合っており、
そうしたことは皆、合衆国憲法誕生にまで遡らないと分からないことだったのだと理解した。

最高裁が過去の判例を覆す判決を出したり、判事の政治色によって、色々と憲法解釈も変わったりするのには
驚いた。然し、それでも歴史的に積み重ねられた判決や憲法解釈は、判事が進歩派から保守に変わっても容易には覆すことが
出来なかったり、その時々に繰り返してきた判例の重みというものは確かにあるようである。

然し、それでも過去の判例を容易に覆すようなことが出来るというのはアメリカというのは本当に国民も参加しながら、憲法の解釈を決めたり、何が正しいかを決めていく国家なのだと分かった。

アメリカが訴訟社会と言われ、直ぐに裁判に持ち込むのも、そのようなアメリカの歴史を考えればよく分かることである。

日本のような歴史を持つ国家では、決してまねの出来ないことであると思った。

単にアメリカ型民主主義を日本に輸入して導入すればよいという問題ではなく、アメリカの国家の歴史というものは、
非常にダイナミックで、憲法や裁判という文化も国家の歴史の中で培われてきたものなのである。

アメリカという国を知る上で、国家誕生から今日に至る歴史を合衆国憲法という視点から捉えた非常に優れた書である。

 

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映画『ストーン』

当初、パッケージからは、何かエロティック・サスペンスか、官能サスペンスであり、ミラジョヴォビッチが悪女として、エドワード・ノートンと、ロバートデニーロの二人を手玉に取る物語かと思ったのだが、全くそうではなく、これは深い哲学的な作品であり、カフカの『異邦人』を思わせるような所があった。

例えば、ロバートデニーロは真面目に信仰をしても、本心は全く神を信じていない。そして、妻も信じておらず、自分も信じていない。虚無的な人物である。

彼は法は侵していなかったが、出て行こうとした妻を引き留め、妻の精神を束縛し、自分に嘘をついてごまかしているという罪を犯している。

一方、囚人であるエドワード・ノートンは正直であり、かつて自分が犯した犯罪は友人が犯した罪であり、共犯としての罪が問われただけであった。実質的には罪は軽いのである。そして新興宗教の自己啓発によって神の音を聞き、信仰と確固たる自信を得ていく。

『異邦人』の最後の場面で、殺人罪で収監されていたムルソーの元に悔い改めを求めてやってくる修道院の神父が、信仰しているように見えながらも、自信がなく、不安であり、実際は神を信じていないことを看破される、そうしたストーリーに似ている。

ロバート・デニーロ扮する刑務所の調査官はそのような『異邦人』に登場した神父のように実際には神がいるかどうかに自信がない。

そしてそのままごまかしながら生きてきたという心の闇を抱えている。

最後に嘘で塗り固められたロバートデニーロとその妻が生活する家を出所したエドワード・ノートンが火をつけて燃やす(おそらく)のだが、それは彼らにとってはむしろ、救済とさえ思われてくる。

刑務所の中にもある真実や神と信仰や教会の中にもある虚偽や罪について対比させて描いた作品である。

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映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』

作曲家グスタフ・マーラーが、ジグムントフロイトの元を訪れて、自分の若妻との結婚生活の中で生じた心理的葛藤の精神分析を依頼する。

しかし、既に彼は依頼しておきながら3度も診療をキャンセルし、フロイトを振りまわしていた。

しかし、切羽詰まったマーラーは、フロイトの意図的な挑発により、激しい抑圧により見ようとしなかった自分の罪について直視することとなる。

精神分析を勉強した人にとっては一つの臨床例として興味深いと共にグスタフマーラーと、彼の才能を崇拝する若妻との間に起こった事件は家父長制的な社会での一つの典型的な事件でもあった。

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映画『サンクタム』

まだ誰も踏み入れたことのない未開の地を求めて、パプアニューギニアのある島の中の巨大な洞窟を探検し、海へ通じる地下水路を探索する探検家一行を襲った出来事を描いた物語である。監督はジェームズキャメロン。

ジェームズキャメロンも言うように特にモンスターが出てくるSF映画でもなく、ごく普通に起こり得る事件を描いたパニック映画である。
しかしそれがとても怖いのである。地底の深い水路に潜水すると、もし酸素ボンベが切れたら、死ぬしかない。そのことを映画の登場人物たちと一緒に体験するのである。

そしてこれは探検に人生を捧げ、探検家の間では尊敬されているが人間的には頑固で厳格な父とそれに反発しているが、困難に遭遇する中で父の偉大さを知り、そして父親を超える程に成長してゆく、息子の物語でもある。

最後の奇跡とも言えるような帰還には視聴者も感動する。

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『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』 池上 彰著 文春新書

この本で一番、役立ったのは今、通常の葬式をしないで直葬をする人が増えているという事実が分かったことである。

そして、宗教学者の島田 裕巳が『葬式は、要らない』 (幻冬舎新書) という本を出したそうである。

確かに今の経済状況で今のニートや就職難民たちが住む家もない状態で、親族の葬式をする莫大なお金を捻出することは難しい。

今、お寺とか葬式というシステムのあり方が問われているということはこの本の中で実感した。

また、キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの一神教と、神道やギリシア時代の多神教などとの根本的違いや、仏教とこうした一神教との違いなどを分かりやすく解説している点で本書は優れている。

たまたま本屋の書店で手にとって、安い本なので、何かのセミナーに出たと思えば、宗教に関する貴重な話が聞けたということで読後感はよかった。

わずか800円程度の金額を払うだけで、何かのセミナーに出たのと同じかそれ以上の知識を身につけられるということでは、新書という出版文化は非常に重要に思われた。

今後、新書をどんどん読んで知識を吸収していきたいと思うのである。

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『貧乏はお金持ち』橘玲著 講談社α文庫

この著は誰でも多少は聞いたことがある会社を設立しての
節税対策を詳細に説明している本である。

いかに合法的に節税するばいいのか、

また

サラリーマンと、法人の違いを理論的、哲学的に、
そして、制度的に論じて、このノウハウの全体像を明らかにした本である。

CDSの始まりをエンロン社の粉飾決算の事件と絡ませて、その発祥から論じ、
現代の新自由主義経済の分析にも力を入れている。

そして、新自由主義経済に飲み込まれるのではなく、むしろ、
それを利用するぐらいの力を持つように読者に勧めているのである。

非常に著者の橘玲氏は金融経済に詳しく、その実践的知識からは、
多くのことを学ぶことができる。

私が最近、読んだ金融経済ものでは一番よい本だったと思う。

もしこれから個人事業主として会社を立ち上げようと思っている人には、
必読の書ではないかと思われる。

特に優れているのは、単なる真面目に表の建前を論じた本ではないということである。

税制の裏側の仕組みや、税務署の考え方、現実社会の経済活動の構造がどうなっているかを
論じている。

単なる行儀の良い教科書ではない。

その点で、税制や会計に通じた達人の教えとして、非常に役に立つ本である。

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映画『SUPER 8』

片田舎の映画制作を志す少年少女の冒険物語として、
細かな部分的なエピソードは面白く、また町全体がパニックに陥って、
軍が極秘任務で作戦を遂行したり、パニック映画やSF映画的な面白さや、
家族ドラマ、恋愛ドラマなど、登場人物たちのドラマも盛り込まれていて、
盛り沢山の内容で、面白い作品ではあった。

かつての名作『E.T.』を思い出させるようなノスタルジックな感じがただよっていた。

然し、その『E.T.』は超えられていないとも感じた。
やはり、少年少女の活劇がジョン・ウィリアムズの音楽で盛り上がる名作には
匹敵できないと感じた。

電車と車が衝突するシーンは迫力があって、素晴らしい映像であったが、
然し、やはりE.Tを連想してしまうのである。

今までに全く見たこともなく、初めての体験という訳にはいかないのである。
やはり既にモデルとなる映画があって、それを模倣しているのではないかと
感じさせた。

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映画『ブルーバレンタイン』

男は学歴はないがハートがあり、妻を深く愛しているが、昼間から酒を飲み、ペンキ塗りの気楽な仕事をしているうだつの上がらない男である。

ギターを弾いたり芸術のセンスがあるが、特にその才能を利用して何かをやろうという野心もなく、毎日家にいて娘の面倒をよく見るよき夫である。

このよき夫が非常にかわいそうなのが、このドラマのストーリである。

このよき夫は実際に自分の子供でもないのに女が遊ばれて身ごもった子供共々、女を家族として引き受けた。夫は優しい男で家族の為に生き、ただ平凡でもいいから家族と共に生きて生きたいと願っている。

女は夫をだんだんうっとうしく感じてきて、何も野心もなく、ただぶらぶらとつまらない仕事をして過ごしている夫にうんざりとしたに違いない。

夫の方がはるかに子供想いで、愛があって家族のことを気にしているが、妻はそうしたマイホームパパのような夫は求めていなかった。

自分が社会に出てもっとよい仕事に着くとか、そうした野心や意欲があって、刺激のある生活を求めていた。

この夫は自分に血のつながりもない娘をよく育て家族を思いやる気持ちには溢れているが、妻を満足させるだけの刺激に欠けていたと思われる。

この愛情には溢れているがうだつの上がらない平凡な夫の惨めさが際立つ作品で、妻も娘もおいて去っていく最後の姿には悲しい哀愁が漂う。

人は愛だけがあって思いやりがあるだけではダメなのか、強くなければだめなのか。

男は引越しの仕事をしている途中での仲間との話の中で、結局、女は収入のよい男を選ぶものなんだよと語る。

男は女に一目惚れして女もその愛情を受け入れるが、男は高校も出ていない男で、また野心もなかった。ペンキ屋で満足しているような男である。

その男の愛情を最初は新鮮に感じて、恋愛が盛り上がっていくが、生活の中で、うだつの上がらない男を見ているうちにだんだんと相手に対する失望が募ってきたのだ。

男の何がダメかというと特に何がダメということでもない。

ただ野心や向上心といった能力、人間性に欠けているのである。

女にとってはその男の平凡さが嫌になったに違いない。

女というものは何か才能豊かで非凡で自分の夢に賭けていたり、何か理想を追い求めている男を追いかけるものだ。

然し、夫は娘や自分との平凡な生活に満足していて、自分の夢や理想を持っていない。

ただ妻や娘を世話することが生きがいなのだ。妻はそんな夫がうっとうしかったに違いない。

そんな生きる目的を自分たちに依存してくる男などには息苦しさを感じたのだ。

結局、このストーリーでは向上心を持って自分を高めていこうとする意欲のない男が妻に夢をあたえられなかったことが別れる原因となったのである。

何か1つの目的、夢や理想を一心不乱に追いかける、そうした男に女は惹かれるのであって、このよき夫の男にはそうしたものが欠けているのだ。

これは特に男がわるいという訳ではないが、弱者であったために捨てられたのである。

妻が別れる前の喧嘩で、男に私の方が男らしい、あなたの方が意気地なしだと罵るのであるが、

人間はやはり強くなければならないのだ。

ニーチェ的に言えば、より大きく強くなろうとする意志(力への意志)があり、生命の躍動感に溢れた力強さがない人間は魅力がないのである。男にはそうした生命の躍動感が足りなかったのであり、ただ心優しいだけで妻や娘に人生の目的や生きがいを頼るような平凡でつまらない弱者であったということである。

人間の価値として、ただ優しい、愛がある、面倒味がいいということだけではダメなのである。

もっと何か現状の今ある自分の限界を超えていく、突破していくという力強い生命の躍動感、溢れる生命力を自分の行動をもって人生の中で開示していかなければならないのである。

そうした人間こそが、人から求められる、人を勇気づける人間なのであって、人を磁力的にひきつける人間なのである。

日本の家族でも見られるが、子育てを終えた後の夫と妻の関係で、お互いに対する意識調査をすると、夫は妻に頼ろうとするが、妻は夫に頼ろうという気持ちはないことが、統計で出てくる。

妻は趣味をしたり、友達をつくったり、勉強をしたり、高齢になっても何か人生の生きがいを見出そうとして、活き活きと活動するのであるが、夫は何も生きがいを見出すことも出来ず、唯一の生きがいが妻になってしまう。

妻はそんな夫がうっとうしくてたまらなく嫌なのである。

やはり、人間とは何か現状の今いる限界を突破し、より強く、より有能で、より力強い何かへと成長していく、躍動感がなければならないのである。

成長することをやめてしまい、果敢に挑戦していく勇気のない人間には魅力はなく、女性も嫌気を感じるのである。

常に人間というものは固定したものではなく、成長し変化していく何かである。

お互いがお互いの刺激となり、成長を喚起していくような関係であれば、相手の存在というものは欠くことのできない人生の協働者である。

然し、成長を辞めてしまい、楽で平凡な日常に埋没してしまったり、あるいは成長のスピードが違う人間同士の場合には、やがて、少しずつ変化していく結果、最後には取り繕うことの出来ない程の違いとなってしまう。そうなると、もう一緒に住むこともできないに違いない。

人間は一度として、固定している瞬間はなく、常に変化し成長していく何かである。

ある時、恋愛関係となってお互いによい刺激を与え合っても、それが生涯続かないのは、やはり人間は変化していく存在だからである。

人間は何かまだ見ない理想に向けて自分を生き高めていく必要がある。

そして、日々、変化しながら、相手と初めて出会うかのように新鮮に生を更新していくことも出来るのである。

 

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映画『ヒアアフター』

冒頭の津波の映像と、その後の沿岸部の被害の状況は、
東北地方太平洋沖地震の津波の被害と酷似していて、
配給会社が映画の上映を中止したというのは理解できる。

然し、実際の現実の方が映画などよりもずっとすさまじかった。

内容自体は臨死体験を経て、死後の世界や魂の存在などに目覚め、
生き方が大きく変化するという、精神世界でありがちな内容を扱っている。

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映画『瞳の奥の秘密』

連邦刑事裁判所を定年退職した主人公のエスポシトと、
上司のイレーネとの恋愛が成就せずに25年の歳月が経ち、
再びその過去の恋愛に対峙するという話である。

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